2014年8月1日金曜日

ネット世界はタフでなければ生き残れない?の話。

今回はネットにおいて個人的な弱い話をした際の事です。

例えば最近疲れちゃってて、忙しくて、調子悪くだのといった事をネットに書く事が有ると思います。
ただ殆どの場合において、これ等の書き込みは否定されます。人に言う事じゃない、ここに書くんじゃない等とです。

人は誰しも不安を抱えつつ生きてるわけですが、必ずしも解決出来るとは限らなく、そしてそれを一人で抱えきれなくなったりします。そこで誰かに聞いて欲しいとなります。そこでネットの登場です。

現実において見ず知らずの人に聞いてもらうわけにはいきません。また壁を相手にだの独り言をしても、それは不安の解消とはならず、受け手が必要になります。そこで漠然とはしてても誰かであるネット上で発言する事で不安を解消させようとなるわけです。

ですがこういった弱みを見せる話というのは、他の人からすると単純に不快にしかならず、否定されるか、それらの人の抱える不安を解消する為の攻撃先とされるだけになってしまいます。

こうして現実世界で為しえない不安の解消、逃げ道として求めてきたネット世界が更にシビアな世界になってしまっており、現実で逃げるしかなくなっていってるわけです。

うちは逃げ道は必ずあるべきで、誰しもが弱さがあるので許しを与えるべきであり、故に許してもらえるべきだと思うんだけど、それが出来る世界としてのネットが今必要なんじゃないかなと思っています。個人的などうでもいい事をつぶやくはずのツイッターは何時しか公の場での発言になってしまっていますし、ただの日記になったはずのブログは今では公式発表です。

誰でもない誰かが自分の弱さと吐露し、誰かも判らない誰かがそれを見ましたよとだけする。そんなぬるま湯な場がネットに出来れば良いのにね。

0 件のコメント:

コメントを投稿