2014年8月29日金曜日

人の振り見て我が振りなおせ:人を動かす。の話。

別に部下に命令をしてーみたいな話じゃないです。
これしてくれませんかとかのお願いとかでもな話です。


自分ではこれが必要でやるべきだとか考えており、それを人にやってもらいたい事ってあると思います。
 「そこにある醤油取って」
とかって事なんかもですね。

当然自分では、どこにある、どの醤油を、どうするのか。は必ず判ってるわけです。ただ言われた人がそれを全部判ってるとは限りません。まずどこにあるのか知らない場合はありますし、醤油って何?って人もいるかもしれません。それ以前に聞いていなかった場合もあります。なんでやらないんだとイラつく人って結構いますが、そもそも認識や知識等が違うのを理解すべきだと思うんだよね。そこを理解する気がないなら「判っている」自分がやるべきだし早いよね。頼むというのは認識を同じくした上で行う事だと思うんよ。


この認識のズレからやってしまうことの一つには、
 「幾つもの行動を頼んでしまう」「そしてどれもやってもらえない」
ってのがあるんだわ。例えば、
 「それ取ってきて」「あとこれ片付けて」「そういえばあれなんだったけ?」
を順に言ってしまう。言った方は必要な事を一個づつ順に言っただけなんだよね。

で受け取った方は何が起きているかというと、まず取ってくる為に
 「どこにあるのか」
 「それは何なのか」
 「どこに持っていくのは」
を認識し理解する必要があります。そこで理解しようとするわけですが、
 「あとこれ片付けて」
と言われてしまいます。

認識しよう、理解しようとしているのに別の事をやれと、つまりそっちを認識し理解しなければならなくなるわけです。言った方はそも々判ってて言っているので、相手が理解しようとしていた事なんて考えずに次の事を言ってしまってるわけです。

言われたほうとしてはたまったもんじゃないよね。処理中なのに割り込みかかって別の処理が入るんだもん。
そこで追い討ちです。
 「そういえばあれなんだっけ」
割り込み処理をどうするのか。放っておいて最初のをやるのか。それとも割り込みを処理するのか考えてる間に更に割り込みです。

こうなるともう全部どうでも良いよね。お前がやれよ。判ってるんだろう?って話です。
ま、そこで言った方はイラつくんだろうけど、言われた方もイラついてるわけだし。


結局のとこを双方が優秀でも劣っていても共通の認識と理解を出来るかだよね。たしかにお互いが優秀なら出来るかもだけど、劣っていても共有の認識と理解が出来るなら同じ事が出来るんだよね。

つまり人を動かすって相手を理解出来るか、自分を理解してもらえるかだよね。そこなしには動かない。これをやっとこさ悟って、ああ、あの時の自分はああだったんだなーと、幾つも順にやれと言ってくる人を眺めてて思ったわけですわ。

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